ドリーはランプライトでいろいろな歌い方を教えてくれました。無伴奏で口移しでフレージングを指導してくれました。力強い歌が得意なお婆ちゃんでした。
次に出会ったのは沢田靖司でした。有ちゃん(有福のこと)がいつもはピアノを弾いているのですが、沢チンが来ると、弾き語りになりました。自分の出番でない日にもフルートやサックスを持って現れることが多かったのですが、そういう時は有ちゃんのピアノで吹き語りをやったものです。
沢チンとは無二の親友になりました。いろいろなことを教えてくれた師匠です。したがって、ランプライトで二人の師匠と出会ったのです。何か運命的です。
次に毎月歌いに来る有ちゃんの青学での同窓生、鈴木史子(vo)と知り合いました。彼女はついにOZSONS一家の人間になりました。大きなコンサートは、OZSONSは必ず出演します。家族同様の付き合いです。
もう一人、ドリーの弟子、新子和江(vo)です。彼女とも長い付き合いが続いています。彼女のコンサートでは私の指導するFJS合唱団のおばさんたちが受付をやったりしてくれます。
有ちゃんは1998年に店を閉めました。その後は、人の店でピアノを弾いています。いつか又、有ちゃんがLamp
Lightを再開することを楽しみにしているのです。
Dolly Baker
を偲ぶ会(発起人:沢田靖司・若山邦紘・有福 隆)
2014/9/23 Jazz Bird
訃 報
2017年6月23日死去
28日の仕事は六本木のホオキパの予定でした。ところが時間になっても現れない。電話をしても通じない。自宅を警察が開けて入ったところ、椅子に座ったまま死んでいたとのことです。検死の結果は、23日の晩、All
of Me Clubに立ち寄り、帰宅後に脳出血で死去したという診断でした。何と死後5日間、椅子に座っていたのです。あー・・・。
4月18日に急死した沢田靖司の「偲ぶ会」を有ちゃんと私の二人が発起人で日取りも10月8日に決めてあるのに、断りもなしに逝ってしまった。
「有ちゃん、どうすればいいんだよ?」
私にとってはLamp Lightは憩いの場でした。98年に閉店してから凡そ20年、時に思い出しては「いい店だったなぁ」とつぶやいている。こんな地図を描いて知り合いに配布したのだ。
沢田靖司も亡くなり、コーラス仲間オージーサンズの小島 恂も亡くなり、バタバタしているところに有福 隆の訃報とはあまりにも辛すぎる。昨年、11月末に後輩のフルバン・リーダーが風呂で溺死、次の週、小学校からの同級生が肺気腫をこじらせて死んだ。タバコが止められなかったとカミサンが嘆く。
(2017/6/29)
⇒ ランプライトのハンバーガー
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