FRIENDS
OF OZSONS |
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Yasushi Ashida(1929-2011) |
芦田ヤスシ 芦田さんは親子2代のサックス奏者です。1929年11月22日生まれです。 お父様は芦田 満(as)といって、昭和初期の日本のジャズ界の草分けです。当時はコロムビア・レコードで中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズという日本初のジャズコーラスとレコーディングをしています。中野さんは当時ミルス・ブラザースがレコーディングしたばかりのタイガー・ラグやダイナを歌っています。 南里文雄(tp)や角田孝(gt)らと同世代です。1930年代に溜池にあったダンスホール「フロリダ」での写真が残っています。 |
1998年にブルーコーツの初代リーダーの長尾正士さんが再編成されたThe Orpheansのメンバーとして現在も続けていますが、2004年のオルフェアンズのディナー・パーティにOZ SONSがゲストで歌うことになりました。その時の1曲がPaper Dollで、これはミルス・ブラザースの十八番の古い、古い歌です。 ヤッサンは僕らがミルスを歌うというので、我がことのように喜んでくれました。それは、ヤッサンが1960年代、赤坂のニュー・ラテン・コーターで自らのフルバンドYasushi Ashida & His Mellow Notesが専属バンドとして演奏していました。 そこに登場したのが初来日のミルス・ブラザースでした。その時の写真が芦田さんの手許に残っていました。50年も前の秘蔵の写真です。それを「お前達がミルスを歌ってくれるから」と言って、わざわざ持って来てくれたのです。涙が出るほど嬉しい話です。 |
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写真は古くて変色し痛みもありました。私はそれらの写真を持って帰り、画像修正をして写真はすべて蘇りました。破けかけていた写真の修復もできました。 特製の大判の写真に印刷してヤッサンに送りました。 |
その写真は ⇒ こちらに |
■ ■ ■ ■ ■ 芦田ヤッサンの取って置きの演奏を聞かせましょう。1997年のレコーディングですが、北原白秋作詞・中山晋平作曲の「砂山」を吹いています。何とも日本人の心に沁みいる名演奏となりました。ピアノ:江草啓介、ベース:和田弘志、ドラムス:辻村昭一です。 年配者は周知のことですが、同じ北原白秋の詞に山田耕筰も作曲しています。どちらも♪♪海は荒海 むこうは佐渡よ♪♪ ■ ■ ■ ■ ■ Platinum Jazz Night 最後のライブ
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