FRIENDS OF OZSONS

芦田さんの家の近所に私の友人が住んでいて「芦田さんの家の電気がつかない」「まだ、病院らしい」と時々報告してくれていたのですが、2011年10月6日に亡くなりました。享年81歳11ヶ月でした。

3年前、2008年11月にAll of Me Clubで「Platinum Jazz Night」という素晴らしい企画のライブがあり、芦田さんに会いに行ったのが最後となりました。そのライブの後、奥様の具合が悪くヤッサンが介護しなければならず、ライブ活動は出来ない状態でした。まもなく奥様は亡くなり、今度は自分もおかしくなって大井町のあの病院に入院されていました。

私の一回り上だったせいか、気が合って仲良く親切にしてもらいました。また、さびしくなりました。合掌


Yasushi Ashida(1929-2011)

芦田ヤスシ

芦田さんは親子2代のサックス奏者です。1929年11月22日生まれです。

お父様は芦田 満(as)といって、昭和初期の日本のジャズ界の草分けです。当時はコロムビア・レコードで中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズという日本初のジャズコーラスとレコーディングをしています。中野さんは当時ミルス・ブラザースがレコーディングしたばかりのタイガー・ラグやダイナを歌っています。

南里文雄(tp)や角田孝(gt)らと同世代です。1930年代に溜池にあったダンスホール「フロリダ」での写真が残っています。
 


Mitsuru Ashida, 1933

1998年にブルーコーツの初代リーダーの長尾正士さんが再編成されたThe Orpheansのメンバーとして現在も続けていますが、2004年のオルフェアンズのディナー・パーティにOZ SONSがゲストで歌うことになりました。その時の1曲がPaper Dollで、これはミルス・ブラザースの十八番の古い、古い歌です。

ヤッサンは僕らがミルスを歌うというので、我がことのように喜んでくれました。それは、ヤッサンが1960年代、赤坂のニュー・ラテン・コーターで自らのフルバンドYasushi Ashida & His Mellow Notesが専属バンドとして演奏していました。

そこに登場したのが初来日のミルス・ブラザースでした。その時の写真が芦田さんの手許に残っていました。50年も前の秘蔵の写真です。それを「お前達がミルスを歌ってくれるから」と言って、わざわざ持って来てくれたのです。涙が出るほど嬉しい話です。

写真は古くて変色し痛みもありました。私はそれらの写真を持って帰り、画像修正をして写真はすべて蘇りました。破けかけていた写真の修復もできました。

特製の大判の写真にプリントしてヤッサンに送りました。

その写真は ⇒ こちら

■    

芦田ヤッサンの取って置きの演奏を聞かせましょう。1997年のレコーディングですが、北原白秋作詞・中山晋平作曲の「砂山」を吹いています。何とも日本人の心に沁みいる名演奏となりました。ピアノ:江草啓介、ベース:和田弘志、ドラムス:辻村昭一です。

砂 山

年配者は周知のことですが、同じ北原白秋の詞に山田耕筰も作曲しています。どちらも♪♪海は荒海 むこうは佐渡よ♪♪

■    

⇒ 芦田ヤッサンからの資料送付

■    

⇒ 最後のライブ