FRIENDS OF OZSONS

DOLLY BAKER

ドリー・ベーカーほど日本を愛し、日本のジャズ・ミュージシャンを愛し、日本のジャズファンを愛したジャズ・ミュージシャンはいないだろう。

1922.2.7、ニューヨーク生まれであるから今年の2月に満80歳を迎えた。

日本のジャズ通でドリーを知らぬ者はいない。しかし、ドリーは彼らが考えるより、とんでもなく偉大なジャズ歌手なのである。

ドリーの父はトランペッターで、母はシンガーでダンサーだった。ドリーは子供の頃から音楽の中で育った。1938年、16歳の時にはエラやサラがそうであったように、かの有名なアポロ劇場でのアマチュア・コンテストの優勝者なのである。

またたく間にドリーはArt Tatum, Charie Parker, Billie Holidayらと並び賞されるミュージシャンと言われるようになった。当時はThelma Bakerという本名でニューヨークで有名な歌手となっていたのである。

今ではドリーの歌を聴けば誰もが「ドリーはジャズシンガー」と言うのだが、唄い始めた頃は、ドリーが唄った歌は当時の流行歌(poplar song)であり、自分自身も流行歌手(pop singer)と思っていたのである。

1961年にドリーの人生の転機が訪れた。ポルトガル人の事業家との、ドリーにとって2度目の結婚である。そして、夫のビジネスの場であった東京に移り住むことになった。ドリーのキャリアーはこの時すでに終わっていたのである。
しかし、日本は「ジャズのHotbed」であることにドリーは驚いた。ジャズを聴きに来る人たちのジャズの知識、ジャズへの情熱はアメリカ人のそれを凌ぐものであったと言う。彼らが平気でオリジナルの英語の歌を聴くのを知り「言葉の壁」は存在しないと感じたと言う。
「ここで、もう一度唄おう」と、ドリーは東京の地で再びライブを始めることを決心した。ドリー自身、自分に対する「需要」があることを認識したのである。
その後、30年以上にわたって東京だけでなく日本各地でライブを行い、数え切れないジャズファンの心を揺さぶったことは、多くの人たちの知るところである。
さて、"Thelma"という名前は日本人にとって発音が難しい。ある晩、ThelmaHello Dollyを唄っていた。ルイ・アームストロングの大ヒットである。Thelmaはルイの物まねも上手だった。
  「そうだ!Dollyをステージ・ネームにしよう」
そして、Dolly Bakerと名乗るようになり、Hello Dolly は、ドリーのテーマソングとなったのである。
ドリーが歌手としての存在だけでなく、もうひとつ付け加えておかなければならないのは、来日する有名なジャズミュージシャンたちの世話をし、日本のジャズ界だけでなく大使館などを含む外交的な橋渡し役を務めてきたことである。実際、「ドリーに話を通してもらえばうまく行く」と、アメリカにいた時代には会ったこともなかったサラ・ボーン、メル・トーメ、デューク・エリントンらの面倒を見ることになったのである。
1977年に夫は他界した。しかし、ドリーは東京赤坂の古いマンションに住み、アメリカに帰ることはなかった。それまでは、ニューヨークに戻ることはなかったが、その後は年に一度、2,3ヶ月は子供たちにも会いにニューヨークに里帰りをするようになった。
そのドリーも2000年5月にアメリカに帰ることになった。そこで2月にドリーの誕生日祝いとサヨナラパーティを六本木のCozy-Lで大勢のミュージシャンやドリーファンを集めて開催した。淋しいことだが仕方がない。10月はじめには再度東京に戻ってきた。翌年の1月半ばまで滞在したが、その間に、2001年度「日本ジャズボーカル大賞」の受賞が決定した。外国人としては初めての受賞である。本賞は1985年に中本マリが受賞したのが最初である。
ドリーはまだまだ唄える。まわりが放っては置かない。特に、ボストンで一番といわれるJazz Club "SCULLERS"でのライブにはすこぶる喜んでいる様子である。

「よおこちゃん」と言ってドリーが可愛がっている生徒に鈴木陽子という女性がいる。いわゆるプロ歌手ではないが、ドリーが帰ってからもカセットテープをアメリカに送ってはレッスンを続けている。

コンサートやパーティの司会など、ヴォイスを使った仕事が彼女の職業である。利発で美人で行動力に富むマルチ女性である。賢い人と思っていたら、案の定、さる有名な塾で国語を教える教師なのである。

冒頭のジャズ雑誌のドリーの記事は、ドリーが陽子ちゃんに送ってきた切り抜きである。


Yoko Suzki at Little Manuela Party, 2002

オージーサンズが沢田靖司ジャズボーカル教室の発表会に飛び入りでI'll Never Smile Againを唄ってお客さんや出演者をびっくりさせようと謀をめぐらしたことがある。

バックステージにいたドリーが袖まで飛び出してきた。はじめてオージーサンズ#7のコーラスを聴いたのである。

おばあちゃんは興奮気味に「トミー・ドーシーのあれ、あれ!」とわめいている。「パイド・パイパーズでしょ」と言うと「それ、それ。私がジョー・スタッフォードをやるから、パイド・パイパーズをやろう」
結局、パイド・パイパーズはやらなかったが、ある時ドリーのライブで、わんわん物語のLa La Luを一緒に唄ったことがよい思い出となっている。Yes, we do love Dolly!
 
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