歌と歌手にまつわる話 |
(130) Good-bye :ゴードン・ジェンキンス問題(最終) | |
2006年の12月に入った頃、前田憲男さんから一通のメールが届きました。「Goodbye ゴードン・ジェンキンス問題」という難問に関するものでした。 ”Goodbye”は、ベニーグッドマン楽団が最初のレコーディングを行なっています。そして、グッドマンのクロージング・テーマとして有名です。これがオリジナルだと思っていました。 しかし、グッドマンの演奏する”Goodbye”の最初の8小節が、その後、市販されている”Goodbye”の譜面には書かれていません。 「その8小節は、誰かが付け加えたのか?」「あるいは譜面を出版する時に、なぜあの8小節をばっさりと削ってしまったのか?」という疑問です。 いろいろな資料をひっくり返して、その結果を前田さんに知らせました。その時点での見解は ⇒ ゴードン・ジェンキンス問題(その1) にまとめてあります。 以下は、4年後になって判明した話です。 |
■ ■ ■ ■ ■ Gordon Jenkinsの2度目の妻Beverlyとの息子、スポーツ・ライターのBruce JenkinsはGoodman楽団の専属歌手だったMartha Tiltonにインタビューして、以下の記事を“Goodbye: In Search of Gordon Jenkins”という自身の著書に書いている。 Gordon Jenkinsが“Goodbye”を書いたのは1934年とされているが、実際は1930年代の初めで21歳頃だった。当時、JenkinsはIsham Jones楽団に雇われていた。Jonesは“Goodbye”を悲しすぎる曲といって演奏することはなかったという。Jenkinsはあえてレコーディングも編曲もしようともしなかった。 Isham Jones楽団がニューヨークで仕事をしている頃、JenkinsはBenny Goodmanと仲良くなった。2人はテニス友達であった。Goodman楽団は1934年にNBCに雇われ、“Let's Dance”というラジオ番組に出ることになった。Goodmanはクロージング・テーマが欲しかった。ある日、このことをJenkinsに話した。「何かいい曲はないかなぁ?」 Jenkinsは“Goodbye”を何小節かピアノで弾いた。Goodmanは興奮して「これだ!」と叫んだという。JenkinsはGoodmanのために編曲し譜面を作成した。そして、この“Goodbye”が1935年にラジオ番組“Let's Dance”ではじめて演奏され、最初のレコーディングはRCA Victorである。Jenkinsにとって最初の作品が1936年にはヒットパレード6位となってJenkinsにとってのサプライズとなった。 ここからが本問題の核心部分である。 ”As beautifully as Goodman played it, Jenkins's afterthought
phrases became so integral a part of the Goodman arrangement.”
とある。有名な評論家Leonard FeatherがLos Angels Timesにこの記事を書いたとなっている。 以上がこの本に書かれている本問題に関連する記述部分である。 グッドマンの演奏した「グッドバイ」の譜面をもう一度掲げておこう。市販の譜面にないのは「A」の部分の8小節である。 ”afterthought phrases(追加されたフレーズ)”とは「A」のこと。元々はこの部分は無かったのである。 これはジェンキンスが後から付け加えたGoodman用特別仕様のアレンジだったのだ。 これが本問題の回答、結論である。 ■ ■ ■ ■ ■ ボーカル・バージョンがレコーディングされたのは、1938年でAndy Kirkバンドによるもので歌手はPha Terrellである。ちなみにAndy KirkのレコードにはGoodmanの冒頭の8小節はない。当たり前だ。 Goodmanは1955年にRosemary Clooneyとのレコーディングで初めてボーカル版を出している。これも聴いてみた。見事に8小節はない。なるほど・・・ ■ ■ ■ ■ ■ この話のエピローグに、ジェンキンスは誰のために”Goodbye”を書いたのかをお話しよう。Goodmanのために書いたのではない。Isham Jonesが「悲しすぎる」といって演奏しなかったという理由もわかってもらえる。以下の話は、Martha Tiltonのご主人Jim Brooksが重い口を開いてBruce Jenkinsに語った話である。 ジェンキンスは若かりし頃、一人の女性と恋に落ちた。彼女は妊娠していたのだが、2人はこれから何が起こるかを知るよしもなかった。結婚することが当然のことと思われていた。出産の日、母子ともに死んでしまった。それで、この曲が生まれた。ジェンキンスの初作品となった。出だしの歌詞はご存知のとおり、”I'll Never Forget You”で始まる。(2010/12/16)
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