ジャズと歴史にまつわる話

ハード・バップ興る

Art Blakey(1919-1990)

1950年代半ば、Art BrakeyとかHorace Silverといった人たちから”Hard Bop”なるジャンルが出現してきます。

ハードバップはCool JazzWest Coast Jazzのようなソフトなフィーリングを嫌い、バップをより強調する意図があります。

ハードバップでは、それまでのブルーノートを意識的に使わなくなりました。つまり、Blue 7thはすべてminor 7thに置き換えられたのです。

Jazz Mesengersはアート・ブレーキーが結成したと思っている人もいますが、初めはホーレス・シルバーが1954年にブルーノート・レーベルのレコーディングのためにイニシエイトしたのです。したがってHorace Silver and the Jazz Messengersというわけです。翌年、シルバーはブレーキーにバンドリーダーを任せて、56年にKenny Drewに替わることになります。これからArt Blakey and the Jazz Messengersとなるのです。

ブレーキーは戦時中、アフリカに2年ほどいたのですが、帰ってくると名前をAbdullah ibn Buhainaと改名してしまいました。


Horace Silver(1928−)

多くのプレーヤーがこのバンドのメンバーとなりました。名前を挙げてみましょうか?

Art Blakey, Kenny Barron, Clifford Brown, Donald Byrd, Chick Corea, Kenny Dorham, Kenny Drew, Curtis Fuller, Benny Golson, Benny Green, Billy Hardman, John Hicks, Freddie Hubbard, Keith Jarrett, Elvin Jones, Bryan Lynch, Junior Mance, Branford Marsalis, Wynton Marsalis, Jackie McLean, Jymie Merritt, Hank Mobley, Lee Morgan, Woody Shaw, Wayne Shorter, Horace Silver, McCoy Tyner, Doug Watkins, Tony Williamsなどです。 まだまだ、書ききれないくらいいます。

凄いですね!80年代末まで存続していました。

 

シルバーの超有名なヒット盤「Song For My Father」というLPがありますが、文字通り父に捧げて作った"Song For My Father”という曲が入っています。どういうわけか、爵士樂堂のところに、シルバーの直筆サイン入りのこのLPがあるのです。

二人はニューヨーク市バードランドにArt Blakey University School of Hard Bopという音楽学校を1954年2月に創立しました。


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