ジャズと歴史にまつわる話 |
“Jazz”という言葉 | |
Tom "Red" Brown(1888-1958)
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1913年、シカゴの有名なボードビリアン、Joe
Friscoがニューオリンズでショウをやりに来たとき、Tom Brownというトロンボーン奏者が彼らのバック・バンドをやるためにミュージシャンを集めたといいます。彼は、その時の"Jass
Music"と呼ばれていた音楽に感銘を受け、シカゴに帰ってからその話をしたそうです。この時、はじめて新聞に"jass"という言葉が印刷されました。Friscoは1915年にTom
Brownの"Tom Brown's Dixieland Jass Band"をシカゴに呼びました。したがって、それ以前から"Jass
Music"というものがニューオリンズに生れていたのです。 1916年には、別のプロモーターが"Jass Band"を欲しくてシカゴからニューオリンズにやってきて見つけたのが、Johnny Steinがリーダーの"Stein's Dixie Jass Band"です。同年、Steinのバンドを核にして、Nick LaRoccaというイタリア人がリーダーになり"Original Dixieland Jass Band"を結成しています。このバンドが翌年の2月に初のジャズ・レコードをレコーディングし、これがミリオンセラーとなり、その名が世界中に知れ渡りました。 初めの頃は"jass"といってたのです。しかし、シカゴではニューオリンズの"jass"と区別するため、jas, jasz, jazzと変化したといいます。したがって"Jazz"という言葉はシカゴで作られた言葉のようです。 どうやら、ジャズという言葉の起源についても、音楽そのものの誕生についても諸説入り乱れていますが、上記の話は信頼できるものと思っています。"Razz's Band"というバンドがニューオリンズにはあったという話もあります。 |
Stein's Dixie Jass Band, 1916
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"Jass"という言葉の意味は性行為をさすスラングだったらしいです。もともとはフランス語の"jaser"(元気をつけるという意)からきたものだといいます。現在の辞書を引いても"jass"という言葉は見当たりません。女郎屋のことを"Jass House","Jazz House"ともいったそうです。 女郎屋でバンドが音楽をやるなんて日本ではあったのでしょうか。四畳半で爪弾きなんていうのはありましたが。あまりにいいジャズを聞かせるので「それだけ聴いて帰って来ちゃった」なんていったら面白いですね。 日本に帰化したラフカディオ・ハーン=小泉八雲が1877年にニューオリンズに戻り、このあたりを遊び場にして喜んで通っていたという記述が日本で弟子によって書かれています。彼はニューオリンズのクレオールの生活を伝えていますが、音楽のことはわからなかったようです。アメリカで歴史上唯一の公娼制度は、ここニューオリンズで60年間続いたのです。 |