Kumamoto City FM


Setsuko Morinaga
FM791

2002年の3月12日に、ゲストブックに記帳をしてくれた女性がありました。「ボサノバをスタンダードジャズで演奏してるプレーヤーは?」という質問が添えてあるのです。METROとしか書いてないので、メールアドレスもわかりません。この要領を得ない質問は彼女自身の質問ではなくどなたかが彼女にした質問らしいのです。
そこで、ゲストブックに連絡先をと書いておいたら見てくれたのですね。すぐに飛び切り美しいメールが来ました。わたしのサイトをつぶさにご覧になっていたのです。その女性は熊本のCity FM局という小さな放送局の美人パーソナリティーで森永節子さんという方です。
先ず、The Oz Sonsのコーラスのサウンドを聴き、これをご自分の音楽番組でOn Airしたいということになり、あれよあれよといってる間に3月20日(水)の5時から8時の彼女の番組で本当に放送してしまったのです。熊本の皆さん、大変失礼をいたしました。
さらに、27日(水)には爵士樂堂主人のところへ、本番中に電話インタビューがありました。森永さんと私とが話をしているのが電波に乗ってしまったのです。よくテレビなどでは見たことがありますが、自分が張本人となってしまうとは夢にも思っていなかったことです。

丁度、爵士樂堂主人に電話インタビュー中の森永さん (ファンの盗み撮りだそうです)
電話がかかってきました。向こうの様子がバックに聞こえているのです。Day By Dayが流れています。それも爵士樂堂主人の一人コーラスです。本HPの一人コーラスからダウンロードして流しているのです。
ホームページを作った動機やジャズとの出会いなどいろいろ尋ねられました。かれこれ15分ばかりお話をしてしまいました。一度、東京にも来ていただきたいやら、熊本にも遊びに行ってみたいやら、とても身近に感じました。電話を切ってから、3曲を流すということでした。サテライトスタジオからの放送ですので、外のお客さんにスピーカーで聞こえるようになっているのだそうです。
番組の名前ですか?
「夕方フレンド」 エイジレス・ミュージック・アワー というのです。
おじさんにはうれしいタイトルですね。 音楽のジャンルは何でもありですが、これ以後ジャズのリクエストが必ず来るようになったそうです。

翌週の4月3日(水)は、われわれオジサンズのリーダー小島 恂のところに電話インタビューがあり、同様にOn Airされました。若山が床屋で頭を洗われている時、携帯がなりました。心配そうな声で

  「5時過ぎたのに、森永さんからまだかからないんだけどお」
「おれのときも10分くらい待ったよ」
「携帯の番号、ちゃんと教えてくれた?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」
少し後に「いま、おわった」ですと。床屋もちょうど終わったのです。リーダーはおじさんコーラスをなぜ始めたのかを喋りました。あらためてメンバーを紹介しろとのことで、
  「砲声大楽のエライ先生、労損のエライ人、間留辺煮のエライ人」
って言っちゃいました。自分のことは何て言ったんでしょうねぇ? 東京では放送が聞けないので何もわからんのですよ。
電話の後でI’ll Never Smile Againを再度流したそうです。
まるで期待もしていないことが現実となることってあるのですね。これもインターネットでの出会いは意外な人と人とを結び付けます。IT効果のひとつだと思います。誰でも、情報を世界中に発信できるのです。

森永さんからメールをもらうようになって、驚いたのはわれわれのよく存じ上げている82歳のボーカリスト、芝小路豊和さんの名前を見つけたことでした。ブルーコーツの生みの親、今年89歳の長尾正士が率いるThe Orpheansというジャズ・オーケストラのボーカルで今なお矍鑠とされ艶のある声で唄われているのです。芝小路さんの唄うSome Sunday Morningが2月の歌として流れていたのです。世の中の狭さに驚くばかりです。


長尾正士とThe Orpheans(左端が芝小路豊和さん、中央のAsが長尾正士さん) 2001.5.20 帝国ホテル

リトル・マヌエラでのマヌエラさん、犬丸一郎さんと中田光雄 02.07.13
さらに驚いたことがあります。われわれのホームグランドは赤坂見附のリトル・マヌエラというピアノ・バーです。マヌエラという名称は1941年の開戦前夜から中国上海で名を馳せた実在する日本人ダンサーの名前です。戦後、東京に初のナイトクラブ「マヌエラ」を開いたのがマヌエラさんです。本名を和田妙子さんという90歳の女性です。
ここは各界の有名人が集まる社交場だったといいます。そして、戦後のジャズマンたちがマヌエラを登竜門としていたのです。ジョージ川口もマーサ三宅もここから巣立ったのだそうです。リトル・マヌエラはこのお店の名前を残そうと帝国ホテルの犬丸社長の骨折りでマヌエラさんから使用の許しを得たものなのです。われわれの親のような存在の芝小路さんとはこのリトル・マヌエラを通じて親しくさせていただいているわけです。
森永さんはこのマヌエラさんのことを私へのメールに詳しく書いてきたのです。本当にビックリしました。
飛び切り美しいメールって気になりません?ひとつだけお見せしましょう。
爵士樂堂主人 2002/03/27
 
森永さんがHPを立ち上げました(2003.5)