ジャズとコーラス

(35) ミッチ・ミラー死去 Sing Along with Mitch

毎週日曜日になると、NHKテレビで「ミッチと歌おう」という番組が昼のお茶の間を独占しました。古い話ですが、1963年に始まりました。

アメリカではこれに先立ち、1961年にNBSで”Sing along with Mitch”が金曜日の晩に放送が始まり人気番組となりました。1966年まで続きます。

合唱団の指揮者がテレビの視聴者に向かって指揮をするのです。テーマソングは言わずと知れた”Sing Along”です。

高齢者なら”Let me hear a melody”という歌詞を口ずさんだものと思います。


Mitch Miller(1911-2010)

そのミッチ・ミラーが2010年7月31日に亡くなりました。大往生の99歳でした。死因は明らかにされていません。

私がミッチ・ミラー合唱団の歌を初めて聴いたのは1955年頃のことで、1850年代のフォークソング”The Yellow Rose of Texas”のコーラスバージョンでした。54年に売り出されロック時代の皮切りとなった、ビル・ヘイリーの”Rock Around The Clock”がベストセラー・チャートのトップを走っていたのですが、ミッチ・ミラーがこれを引き摺り下ろしベストセラーとなりました。

ところが、56年に”Heartbreak Hotel”でエルビス・プレスリーが爆発してしまいました。これ以来、若者のポピュラー音楽の世界はTin Pan Alley時代に幕を引き、ロックンロールの時代へと突入していきました。

しかし、ミッチ・ミラーは「ロックンロールは音楽のベビーフード」と言い切っていました。じつにうまいこと言うものです。

江利チエミが、パティ・ページの「テネシー・ワルツ」とローズマリー・クルーニーの「カモナ・マイ・ハウス」をヒットさせましたが、いずれもミッチ・ミラーのプロデュースによるヒットソングなのです。

ミッチ・ミラーはクラシックの教育をうけてオーボエ奏者となり、ロチェスター交響楽団、後にはあのジョージ・ガーシュィンのオーケストラでオーボエを吹いていたのです。

われわれがご幼少の頃、といっても既に大学生で自分達も合唱をやっていた頃ですが、テレビで見ていたミッチ・ミラーの合唱団は、Mitch Miller & The Gangsといいました。毎週、いろいろなゲストが出演していたような記憶です。ボブ・マグラスという歌手を覚えていますか?当時、ミッチのソリストをやっていたのだと思います。綺麗なきれいな声を聴かせてくれたことを思い出します。

ボブ・マグラスは小島正雄さんと親交があり、小島さんが亡くなった時には、お悔やみの手紙が奥様に送られてきました。その手紙が小島正雄追悼文集「Memories of MasaoKojima」に載せてあります。(2010/8/4)

Mitch Miller and The Gangs

 


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