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1978
熊 野 岳 山 頂
9期生 竹林 充 若山 天野英男、村松三生
天野と村松が交代して撮った写真の合成です。
彼らの自作卒業アルバムにパノラマ写真だといって、
5枚くらいの写真を糊で貼り合わせてありました。
その写真を元に画像処理をして、この美しい写真が出来ました。
2日かかりました。
大部分のゼミの本隊とは地蔵山で別れ、屈強な4人だけで熊野を目指しました。
ふわふわの雪が積もっているのではありません。
樹氷と同じく、がりがりのえびの尻尾が山を覆っています。
それ以外の滑らかに見える斜面はクラフトしています。
滑りに自信がないと降りてこられません。
しかし、ここは天国でした。
吹雪かれたら本当の天国になります。
ホワイトアウトという現象が起こります。
それで動き回ると必ず遭難します。
沢山遭難して死にました。
今では地蔵山にさえ立ち入り禁止です。
この年は体育会山岳部主将竹林がいたので2月にもかかわらず、
「先生、あそこまで行きましょう」
「よーし、行こう」
地蔵山の頂上からさらに熊野岳まで登ってしまいました。
竹林は走って登って頂上から見下ろしています。
山岳部主将というのは人間ではありません。
冬季にここまで行ったのはこの年だけです。
竹林のお蔭で、いい想い出です。
日本海と太平洋が見えました。
ちなみに若山君、37歳です。
これは一生に一度きりの写真になりました。
おれは村松にこのページを見せたかった。
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1981
1981年2月 12期生 少し奥がドッコ沼です。
笠間 入江 中河 藤本 畑 若山 金子 小野 鹿島
この時代はダイヤモンドバレーも見返りリフトもありません。
ケーブルを降りてドッコ沼経由で中央ゲレンデまで担いで歩きです。
実は丁度よい準備運動となるのです。
今は、歩く場所がなくなりました。
バカなお客とアホな業者のなせる仕業です。
「スキーは担いで登る」のが基本です。
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1982
1982年1月 13期生 若山 岡山 荒井 伊藤 村上 土屋 山岸
この頃は蔵王合宿を冬と春にやっていたようです。↑が1月、↓が3月。
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1982年3月 三郎リフト上 OBと 3年生が初参加
後藤(3年)、畑(81卒)、竹林(78卒)、飯島(78卒)、中山(78卒)、伊藤(4年)、若山、松本(3年)、村松(78卒)
この年のサプライズは中山でした。4年生のときに初めてスキーをやりました。
スクールに入ってボーゲンを習っていました。
その中山が「1級」になっていました。
私と同じ靴をはいています。
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1983
1983年1月 お地蔵さん
関口 小田 穂垣 坂田 松本 典子 永瀬 後藤 杉江 ?若山?
1月で雪が少ない!
この写真は3枚の原画の合成です。関口と坂田がカメラマンで交代して撮りました。
地蔵の頭に乗っているのはおまけです。
82年1月の写真も山岸を挿入してあります。
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1984
1984年2月 ハイム前
岸 宏がいます。 まだ、2代目校長になる前だと思います。
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1985
85年2月の上の台ゲレンデ、後ろは竜山です。
後列:五味、金本、松井、田村、松沢、松井、永瀬、粕谷、小野、広瀬、伊藤、三宅、小川、中山
前列:素子、あゆ美、淳子、仁美、典子、岸校長、若山、関口、小泉、成美、飯島
岸 英三校長(会長)が写っています。大正11年戌年です。
これはスクールの専属カメラマンだった篠木 真が撮ってくれたものだと思います。
淳ちゃんがいますが、思い出しました。
「会社の研修で蔵王に行けない」といって泣きました。
社長にすぐ電話をしてやりました。
「若山ゼミの学生は研修なんて出なくて結構です」
当たり前だよ!!
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1986
1986年2月25日 パラダイスリフト上の樹氷の中
85年卒と86年卒、それに方倉が乱入
方倉からメールが来ました。「でも,なんでわかるんです?乱入したのがわたしと・・・」
「だって、モコが嫌がっているだろ」
金本がいない! そうか、カメラマンかぁ。可哀相だから入れてやろう。
何だか知らないがピースなんてやっている。
ロッジ前で
これから貸し切りバスで東京に帰ります。
この写真も金本と五味が撮った2枚から金本を切り出してモコの前に挿入しました。
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1987
1987年3月 三郎の上
粕谷 飯田 及川 菊池 榊谷 若山 山本 関口 三宅 桜澤 中山 飯島
この写真も飯島を入れてやりました。
飯島はカメラマン専従のことが多いのです。
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1989
1989年3月 中央ゲレンデ
永瀬、飯島、 関口、三宅、武田、高橋、鈴木、大畑、喜美子、桜澤、由利子、美智子、粕谷、若山、中山、ゆみ子、原、知子、塚田
88年度(20期)、89年度(21期)はゼミ生が5人ずつと少ない年回りでした。
でも、この2年でゼミ内結婚2組(大畑組・塚田組)の大当たり年です。
はい、これも永瀬を入れました。元の写真は永瀬と飯島がカメラマンです。
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1991
1991年2月 23期生(3年生) 竜山ゲレンデ
小寺 山内 徳永 橋本 若山 中村 波多野 広瀬 由美子 朋子
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1992
これは1992年2月の蔵王合宿です。
この写真は上の台から蔵王ケーブルを降りて左手の山の上です。
ダイヤモンドバレーの帰りのリフトを降りたところの高台に登ったところです。
昔々の第3リフトの終点付近です。
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1993
1993年3月 上の台ロッジ前
ハイムのインストラクター寒河江隆がいる。彼に習って上手になったゼミ生多数!!
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1994
1994年 蔵王ロープウェー山頂駅
3年生、4年生、OB/OGでごちゃごちゃになっています。
蔵王地蔵尊を囲んでいるのがわかりますか?
昔はこの地蔵が雪に埋まってしまい、雪の中に隠れる時代がありました。
そうすると息が出来るように穴を掘ってやります。
穴の上から覗き込んでお参りします。
雪の量が1m半〜2m位多かったのです。
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1995
95年3月らしい、のお地蔵さん前です。
あっこが持ってきて、あやちゃんが見せてくれた写真です。
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1996
96年3月とある。 紅葉峠から連絡通路にちょっと入ったあたりだな。
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1997
97年3月です。ここはユートピアゲレンデのリフト乗り場付近。
夏みたいな景色ですねぇ。
これも、カメラマンの朋子を別の写真からとってきました。
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2005
この場所は三郎岳のような気がします。
中里さんがいます。中さんは若ゼミの一員になって蔵王に来るのが大好きでした。
誰も登ったことのない竜山に夏季も冬季にも一人で登りました。
2010年暮に急激にすい臓ガンが進行し2011年1月11日に亡くなりました。
孫を連れて蔵王に来ると言っていたのに・・・
地蔵山の樹氷地帯です。
この日は天気が悪く真っ暗な写真でしたが、ここまで明るくしました。
これ以上やると雪が真っ白になって飛んでしまいます。
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2011
3月11日から最後の合宿の予定でしたが
⇒ 大地震で中止になりました(その詳細)
3月31日で定年退職しました
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2012
1年後に蔵王スキー合宿が再開しました。もう学生はいません。
卒業生とその家族です。
青山 芳江 美喜子 山羽 男全
石川 知子 若山 ことり
石川美由紀・弘樹 青山脩・芳乃 山羽裕太・絢子
教え子達の子供達と蔵王合宿が出来るようになるとは何と幸せな先生だ
誰もいない上の台
スキー人口の減少、それに昨年の原発事故以来東北にスキーに来る人がいなくなった。この日、大平コースを滑っても人がいないのだ。昔、夜10時すぎにパラダイス・ロッジから上の台まで月明かりの大平コースをよく滑ったものだ。コースに人っ子一人もいない。
4月1日の霧氷(撮影:男全勝行)
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