歌をつくる人にまつわる話
The Story of Songwriters

(2) George Gershwin   Embraceable You
( in English, click here)

 

George Gershwin
(1898-1937)  



Ira Gershwin
(1896-1983)

1924年、弱冠26歳の作曲家ジョージ・ガーシュインは"Rhapsody In Blue"を世に出しました。これはジャズを演奏会形式にかえたもっとも早い試みのひとつだといわれています。

ストラビンスキー、ラヴェル、バーンスタインらにジャズの力を認めさせただけでなく、ジャズは純粋音楽にも影響を与えはじめました。

彼はさらに勉強しようとヨーロッパに渡り、ストラビンスキー、ラベルに弟子入りをしようとするのですが断られます。「あなたに教えるようなことは何もありません」と。そんな頃に「パリのアメリカ人」を作曲しています。自分自身の心中を書いたものです。


両親ははじめ兄のアイラにピアノを習わせようとしましたが、よくあるケースですが弟がメキメキ上手になりお株を奪ってしまったのです。兄は沢山の作詞をし、弟が曲を書きました。

今年(98年)は生誕100周年、わが国でも大から小までガーシュインをテーマにしたコンサートが開催されています。ガーシュインの音楽はジャズとクラシックの境を感じさせません。前田憲男のトリプル・ピアノ・コンサートで"2nd Rhapsody"をめずらしくも演奏しました。大変難解な曲で「2度と演奏することはないだろう」と言いながら。

39歳で亡くなってしまいました。もっと長生きして欲しかった音楽家です。

エラ・フィッツジェラルドはガーシュインの歌を好んで唄いました。ジョージ・ガーシュインが亡くなってはるか後のことです。アイラはエラが唄うのを聴いて、こう言ったそうです。「我々の歌がこんなにいい歌だとは知らなかった」


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