歌と歌手にまつわる話

(31)  ミスター・ボージャングルは実在の人 Mr. Bojangles


Bill "Bojangles" Robinson(1878 - 1949)

喧騒の1920年代の名タップ・ダンサー、Bill Robinson がその人であるといわれています。当時ハーレムにあった高級なコットンクラブでは、客は上流の白人ばかりでした。しかし、ビル・ロビンソンは名士として迎えられたといいます。

カントリーのシンガー・ソングライター、J. J. Walker が1968年に吹き込んだ歌ですが、私にとっては、なんと言ってもサミー・デイビス Jr.の歌が極め付きです。サミーは自分と落ちぶれたボージャングルを重ねて唄い踊るのです。何度もそのシーンを見ました。ビル・ロビンソンはサミーのタップの先生だったのです。 

「この歌を唄うと、自分が老いぼれたボージャングルのようになってしまうのではないか」と。それでも、「これは自分のための歌だから唄う」と言っては唄いました。


ボージャングルが「15年連れ添った犬がただ老いぼれて死んだんだが、20年たってもまだ悲しい」と語った、というくだりが歌詞にあるのですが犬好きの人にはその気持ちが伝わってきます。本当に悲しいのです。物言わぬ犬であるが故に。歌の内容はボージャングルが落ちぶれていくのですが、ビル・ロビンソンは実際にはそんなことはなく、ごく普通に一生を終わりました。じつは、Walkerが唄ったボージャングルはビル・ロビンソンのことではなく、別人のボージャングルと名乗る老人ダンサーのことだったのです。

(注:上の記述から誤解を招かないために「この歌の誕生の真相」をお読みください)

しかし、1949年に亡くなる時は無一文だったと言います。あのテレビ司会者のエド・サリバンが葬儀の費用をポケットマネーで払ったという話です。ハーレムからブルックリンの墓地まで埋葬の車がブロードウェイをタイムズスクエアに進むとき、50万人を超える市民が立ち並びボージャングルを送ったということです。

この歌をこよなく愛する日本のミュージシャンがおります。水橋 孝(ゴンさん)というベーシストです。この歌をベース・ソロで演奏するのです。彼は、サミーのボージャングルを聴いて大好きになったのですが、その後、ニーナ・シモンのボージャングルを聴いて衝撃をうけてしまったというのです。ニーナの歌は原曲の通りのカントリー調の歌です。ジョン・デンバーもフランキー・レイン、そのほかにもたくさんの人たちに唄われた歌なのです。

サミーの芸能生活50周年の記念コンサートはラスベガスのシーザース・パレスで開かれました。50年の思いが凝縮した鬼気迫るステージでした。最後に「10年後にこんなコンサートが開けたら」といって自分を支えた友人たちに感謝の涙を流しました。


その10年後、すでに咽喉癌に冒されたサミーはもう唄えません。しかし、60周年のコンサートはロサンゼルスで開かれたのです。シナトラからホイットニーまで多くのスターが出演し、サミーの偉大なる60年をさまざまな形で称えました。これは、亡くなる前後にNHKテレビで2回放送されました。サミーの初来日からシナトラとの日本最後のステージまで見てきた私にとっては胸につまるものが大きすぎて、感動の涙なしには見られません。サミーは本当にすばらしいエンタテナーでした。サミーが死んで20年たってもまだ悲しいと思います。

1990年5月16日、私が家に11時ころに戻りテレビをつけました。ニュースを見たかったのです。画面に臨時ニュースのテロップが流れ、サミーの死を伝えました。その晩、朝までかかってサミーのビデオをすべて見て一人でお通夜をしました。

その翌日、76歳−4日だった父親にサミーの死を話したところ、「おまえが若い時から好きな人だろ、あの物まね上手なエンタテナー」と話が通じてしまいました。サミーを知っていてくれたのです、驚きましたねえ。うちの親父はジャズなんかに浸ることなく育った昔人間ですが、いいもの、本物のわかる親父だったと思う今日この頃です。シナトラが死んで2ヶ月後にあの世に行ってしまいました。



Sammy Davis Jr.(1925-1990)

こんなこともありました。10数年前のある日、真っ昼間に淡島通りを運転していたときのことです。渋谷から駒場をすぎて間もなく歩行者用信号の手前で車を止めました。後ろから誰かに呼びとめられたような気配を感じたのです。振り向いても誰もいません。「おかしいな?」と思うと道路の向こう側に「古本・古レコード」と書かれた看板のきたならしい店が目に入りました。わざわざ車を降りてその店のガラス戸をガラガラと開けて入ってゆくと、段ボールに古レコードがありました。見つけました。2枚組みのサミーのレコードを。それには"Mr. Bojangles"が2種類入っていました。サミーのレコードに呼びとめられたとしか思えません。同じようなことが、茅ケ崎の駅の近くでも起こったことがあります。このときもサミーでした。世にも不思議な物語です。

ご承知のようにサミーは歌真似、映画スターの声帯・形態模写が得意でした。ショーではかならずこれが入ります。しかし、シナトラの物真似だけは見たことがありません。どなたかサミーのシナトラの物真似を見たり聴いたりしたことがあったら教えてください。絶対していないと信じているのですが。

それが、今夜(99.6.17)家に帰ったところ、町田さんという方からメールが届いていました。このホームページを見ていてくれた方なのです。サミーはシナトラの物まねをしていると。以下は町田さんのお便りから掲載させていただきました。

私が持っているLP(サミーのはほんの少しです)では、
「SAMMY DAVIS JR. AT THE COCOANUT GROVE (RERRISE R9-6063/2)」
という2枚組のライブ録音の中で、「RIVER STAY 'WAY FROM MY DOOR」を
シナトラの物真似で歌っています。
ステージに登場するところからの真似で、
60年代初期の頃のまだ若々しい口調がよく似ています。
歌はあんまり・・・ でも他の人よりはかなり似ているのかなとも思いますが。
興味深いのは、その歌詞です。物真似なのにシナトラが歌ったように
River, stay 'way from the door ではなく、
原詩どおり ・・・from my door と歌っているのです。
シナトラが勝手に歌詞を変えたことは、当時かなりの物議を醸したそうですが、
この件に対してサミーが自分の意見を主張しているような気がします。
世間からシナトラの子分という目で見られていたサミーですが、
自伝を読んでも、自分の生き方に関して決して干渉させないといった気概が感じられましたし。

他にも度々ステージでやったようです。50年代のTVショーでは、
帽子を被り、コートを肩に掛けた例のスタイルのシナトラのシルエットが出、
照明が当たるとそれはサミーだった、というのがあったと思います。


世の中、こんな事実をよくご存知の方がいるとは「いやぁ、広いもんだね」というのと同時に、その方から連絡を受けるなんて「いやぁ、狭いね」というのが実感です。

サミーの物真似は、必ずしもその歌手が唄っている歌かどうかに関わらず歌真似で唄います。例えば、トニー・ベネットで"As Time Goes By"を唄いますが、「彼が唄っているのを聴いたことがないが」と言って歌真似します。したがって、原詩どおりに歌うことに何らかの主張があったと考えるのは、わたしは考えすぎだと思っています。

この写真は2001年5月に「街ぐらし」という雑誌に出ていたものです。赤坂のLittle MANUELAにいた吉成さんが見つけて持ってきてくれたものです。かつてミスター・ボージャングルが住んでいたハーレムのアパートの壁に描かれたボージャングルです。

 
サミーがサントリーのコマーシャルをやったのを覚えていらっしゃる方がいると思います。2007年になってこの話が私に舞い降りてきました。詳細は別ページに書いてあります。

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