ジャズとコーラス

(20) 素人コーラスも楽しや The Oz Sons

The Oz Sons at
Little MANUELA
オジサン・コーラスとはいいもんです。なかなかメンバーが揃いません。忙しい年齢ですから誰かが欠けたり、転勤で海外に飛ばされたり、それにしてはこの3人組はよくもって来ました。とにかくジャズ好きオジサンなんです。

西麻布のジャズバーで「いつものおじさんコーラス」と呼ばれていたのですが、これをもじった"The Oz Sons"というよそ行きの名前もあるのです。発音は「オージーサンズ」と読みます。ちょっと訛りますが。

本来ならば4人のカルテットでやりたいのですが、潜在メンバーの一人は海外ですし、もう一人の活動中止中のメンバーは会社の仕事が夜まであるために一緒にやる時間がないのです。それでも何曲かのレパートリーはありますので、4人揃った時には厚いハーモニーが楽しめます。

それ以外の時は3人用のアレンジを用意しているのですが、その譜面の方が多くなってしまいました。赤坂見附のLittle MANUELAが目下のホームグラウンドです。

1999年11月16日(火)、ついにオジサンズは大舞台を踏みました。場所は神宮の森日本青年館ホールです。当日の客は勘定したわけではありませんが1300人だったそうです。

仲良しのスリー・グレイセスが彼女らのコンサートに我々をゲストとして一緒にやろうと言ってくれたのです。図々しくも一緒にやってしまいました。しかし、普通は足の震える緊張感が襲ってくるはずなのですが、そんなことはまったくなく、楽しくリラックスして出来たのです。でも写真はやや緊張気味です。

グレイセスがカウント・ベーシーのナンバー、オジサンズがデューク・エリントンのナンバー、この2曲を掛け合いと重ねあいという凝ったアレンジでした。



The Oz Sons at Three Graces Concert

そんなことを言っていたら、リーダーのオジサンが沖縄に転勤になり、2000年6月末に那覇に引越しました。でも、月に一度は会議だとかいって帰って来て細々と続けております。そこで、土日を使って沖縄慰問の遠足をやりました。 行ってみたら那覇にあるライブハウス2軒でわれわれのライブが組まれていました。もちろんギャラをもらうわけではありませんが、一人前のことをやってのけてしまいました。後日、そのライブハウスのオーナー曰く「こんどはいつ来るの?」

でも、来年には台湾駐在の商社マンのオジサンが4年ぶりに戻って来ることになりそうです。貴重なバスが復帰します。いやはや、上の写真の真中のオジサンも上海転勤寸前までいった事があります。危うし、危うし。

正式に東京転勤の辞令が出たそうです。もうひとりの潜在メンバーを加えると、5人のメンバーが揃いそうです。グループ名も「The Ozson Five」として、3人か4人の時は、3/5とか4/5でいこうか、と言ってははしゃいでいるのが、上海に行きそこなった一番若いオジサンです。

2001年秋には、鈴木史子のコンサートに出ることになりました。彼女とは普段から仲良くコーラスをやっているのです。


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