FRIENDS OF OZSONS

John Mills II and Elmer Hopper
- The Mills Brothers -

The Mills Brothers

オリジナルのミルスブラザースは、1981年のデンマークのチボリガーデンでのコンサートを最後に活動に終止符が打たれました。

しかし、4男のドナルドは息子のジョンII と二人でツアーを開始し、1999年に亡くなるまで18年間唄い続けてくれました。

ドナルド亡き後は、すぐにエルマー・ホッパーとコンビを組んで2人でミルスを続けています。
 

しかし、このコンビのCDは出ていません。日本では誰もが聴いていないのです。

ジョンは父親とMills最後のレコーディングをしています。Still There's You...という1999年のアルバムです。このCDを何とか手に入れようとして、2003年6月にジョンとメールを通じて連絡を取り合うようになりました。現在は、ミルスのサイトで販売しています。

もちろん、このCDもほかのCDも送ってくれました。Amazonなど通常のショップには置いていないものがあります。

そうしていたら、2004年11月にエルマーからメールが来ました。テナーサックスの芦田ヤスシさんの消息を知りたいと言うメールです。このozsons-pitのOZのお友達でオルフェアンズの芦田さんの記事を見ていたのです。エルマーは1970年代からポール・ロビの率いるプラターズのリードを20年ほど唄っていたのですが、その時代に日本には20数回も来ているのです。芦田さんとは、その時に知り合っていたのです。

その二人が来日することになりました。エルマーから「10月に日本に行く」とメールが来ました。驚きましたねぇ。もんプロの招聘だと言います。このプロダクションは30年にわたりジャズのビッグネームを招聘してきました。この時代になって、代の変わったミルスブラザースを呼ぶ「呼び屋」などあるというのでしょうか。第一、今のミルスの存在すら知らないのが普通です。一言でいって、もんプロの西蔭社長は「変わり者の呼び屋」です。

まさか、彼らに会えるとは思っても見ませんでした。

心温かいすばらしい人物でした。パフォーマンスにもいろいろ工夫がされていました。3人で唄っていたコーラスを2人でやらなければならないのです。しかし、2人しか居ないというハンデを克服し、ミルスのスイングを見事に聴かせてくれました。感動しました。21世紀にミルスの生のサウンドが聴けるとは誰が想像できたことでしょう。

戦後、ミルスを日本に紹介したのは、11PMの司会で茶の間の有名人になったブルーコーツの生みの親、小島正雄氏です。そんな関係でミルスは初来日の時から小島家にそろって遊びに来たのです。まこGがそんな思い出話をこの2人にしたのです。「あなたのお父さんが、わたしの家に来たのです」と。不思議な縁ですネ。

したがって、小島家とミルス家は親子2代に亘っての付き合いになるのです。上の写真は11PMでのミルス一家と小島正雄さんです。不確かな記憶ですが、この時は”Till Then”を聴かせてくれたのではないかと思います。初来日のコンサートで小島さんが司会をされたのですが、心底から嬉しそうに司会をされました。わかGは学生時代です。

長生きしていれば、会えないと思っていた同士が会える日が来ることがあるのです。

 

もう1つ面白い話を紹介します。彼らが帰国してから、きよGが見つけた話です。ミルスブラザースはカウントベイシー楽団と2回レコードを吹き込んでいるのですが、その2枚目のレコードに、John Mills IIの12歳の時の声が入っているのです。Sent For You Yesterdayという歌ですが、よく見つけたものです。ご本人のジョンは覚えているのでしょうか?今度、聞いておきましょう。

昨年、短期間だけでしたが、新世代のミルス・ブラザースのパフォーマンスがアップされていました。その番組を制作したPBSが著作権を主張したのです。消されることを予想して、私はしっかり保存しておきました。ご覧になりたい方は、

Mills Brothers 2007 Video
Paper Doll
Glow Worm
Till Then


Mills Brothers 2007 投稿者 kunihiro-wakayama 

どうやら、下のプロモーションビデオは、すぐには消されないように思います。

貼り付けておきますので、ご覧になってください。

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