FRIENDS OF OZSONS

 

世良 譲

ここで世良 譲の解説をする必要はありません。ジャズのライブやコンサートに出かけることのない方でもブラウン管を通じてお馴染みのミュージシャンだと思います。

酒とバラを愛するおもしろいオジサンです。

INDIGOがまだ西麻布にある頃、仕事が終わると一杯やってから、遅がけにやってきます。丁度、オジサンズNo.7の3人がピアノを囲んで"I'll Never Smile Again"を静かに唄っていると、でっかい声で歌いながら店に入ってくる酔っ払いが世良さんでした。普通はわれわれのコーラスを邪魔する人はいないのです。
だから世良さんは普通じゃあないのです。
世良さんはオジサンズ一家といってもよい鈴木史子がお気に入りです。歌が上手いのと世良さんと相性がいいのでしょう。地方での仕事があると「おい、お史いっしょに行こう」となります。お史は「へい」とひとつ返事です。世良さんの奥様がお史が好きなのです。ですから、旦那がお史と一緒なら安心しているのです。
2002年1月末から2月上旬にかけて、2人はニューカレドニアに行く豪華客船「飛鳥」の旅でライブ・ショーをするのです。優雅な仕事ですねぇ。ベースとドラムスには、やはりオジサンズのお友達、遠山晃司、木村由紀夫が同行しています。

これは世良さんの名刺です。バラの切り絵がしてある白い名刺用紙を持っています。その都度、手書きで名刺を渡すのです。
もらった人は喜びます。
実に小憎らしいほどの演出です。素人が真似しても様にならないと思います。でも、やってみますか?
オージーサンズが出演した鈴木史子のコンサート"KEEP SHINING 5"には世良さん一家が横浜関内ホールに聴きに来てくれました。終わってロビーで「おい、オジサンズはよかったぞ」と褒めてくれました。前々から聴いていてくれましたので、ある程度やるとは思っていてくれたのでしょうが、予想以上によくやったと思ってくれたのです。それに、4人になってからは時間も浅く、ご存じなかったので余計によく聞こえたはずです。
東京公演では横浜に来られなかった息子さんが一人で来てくれました。「親父に『絶対聴きに行って来い』といわれました」とのこと。これで世良家全員が来てくれたことになります。
オジサンたちは、そんなによかったのですよ。いや、楽しくやったのです。

2002年の夏前、世良さんの身体に悪いものが出来ていることがわかりました。はじめは内緒でしたが、今では周知のことです。

いろいろな治療や投薬で病気と闘っておりました。このことを知っているものは、皆、心配をしていました。

が、「おい、新年会だ」という話です。おとっつぁん、くたばりそうな姿で現れると困るなぁと思いながら、恐る恐る会場のホテルに着くと、息子さんのたかしさんとロビーで待ち構えておりました。


世良さんを囲んで(三浦海岸Maholova Minds),
2003.01.23

いやはや、元気そのものです。酒はがんがん飲みますし、相変わらずデカイ声でしゃべります。話を聞いて安心したのは、どうやら死の淵まで行ってきたらしいのです。「すごく綺麗な黄色っぽい花園のようなところだった。でも、行かねぇで帰ってきた」という話です。

こういう話はよく聞きますが、そういう人は決まって長生きです。世良さんはこの世にいても「酒とバラの日々」を地で行くわけですから、何の未練もなく戻ってきてしまったのです。当分、呼びには来ないでしょう。
2003年3月からは、ライブに姿を見せてくれるということです。オージーサンズも揃って応援に行きます。