FRIENDS OF OZSONS

突然のことですが、ゲソ爺が2003年9月2日正午に亡くなってしまいました。4月の気まぐれコンサートはゲソ爺にとって最後の「ゲソの気まぐれコンサート」となってしまいました。

来年も、同じメンバーでやりたいと言っていたのですが、それも叶わなくなりました。お見舞いに行ってもいいかと尋ねると「少し回復すれば、すぐに淋しがるから」とは、アガサス社長、藤原忠Gの言だったのですが・・・

もう、あの面白いトークをまじえたライブは見ることも聴くことも出来なくなりました。さみしい限りです。(9/2追記)


Toshio Oida(1925.2.21-2003.9.2)

笈田 敏夫

愛宕山にNHKが開局した年、1925年2月21日ベルリン生まれの笈田さんは、わかGの小学校からの先輩です。1925年とは大正14年です。

周知のように、笈田さんのニックネームは「ゲソ」といいます。3つばかりの説があるそうですが、真相はこうです。

日本では公開されなかったアメリカ映画That Night In Rio (1941)で唄われた"They Met in Rio"という主題歌の歌いだしの歌詞が"This song of love begins ..."と。

当時、16,7歳のころに、この歌をポス宮崎ほかでレコードに吹き込んだものを「アメリカのレコード」と言って売ったら、よく売れて大儲けをしたそうです。

ある男がこの歌を渋谷の喫茶店でリクエストして、2世の女性に聴かせて歌詞をとらせようとしたところ、「ゲソのラビギ…」とか「ゲソのラビンス…」としか聞こえなかったというのです。その場に、笈田さん本人がいたらしいのですが、自分が歌ったとは言えない事情もあったわけです。

笈田さんのマネージをしていたアガサスの元社長、藤原忠Gは三木鮎郎さんから聞いた話とゲソ爺本人の書いていることを元に話してくれたものです。本人が書いたと言うので嘘はない。いや、だから怪しいといった話も出ているそうですが、それらすべてを含めて教えてもらった、今はご本人にも三木さんにも確かめることも出来ない「ゲソにまつわる話」です。

ゲソ爺はこの歳になっても、若い連中をバックにライブをやっていました。それは、

「ライブに出るのは、噺家が寄席の高座に出るのと一緒、お金にはならなくても出ていないといけないのだ」

なるほど、と思わせます。これから売り出そうとする若い歌手が言っているのではありません。各種の賞を総なめにし、勲4等の勲章まで受章し、功なり名を遂げたゲソ爺の言葉には重みがあります。

耳の肥えたジャズファンでゲソ爺のCDを買って聴いているでしょうか。何だ、かんだ言って聴かない人が多いでしょう。しかし、ライブはCDを聴くのとは大違い。Liveというのは、文字通り生きているのです。わかGは、ゲソ爺のライブは面白くて為になることが多いので大好きです。

2003年は、またまた面白い年になる予感がします。

それが、4月28日(月)に決まりました。「ゲソの気まぐれコンサート スペシャル 78th 笈田敏夫」です。

大変でした。メンバーの一人が札幌転勤のため、東京に帰っているときしか練習に集まれないのです。それでも、いろいろ個人練習用マテリアルをMDに用意して、何とかがんばってやってきました。
OZ SONSはゲソ爺の最後のコンサートに出してもらったのです。不思議な縁でした。
 


ある晩の普段着のゲソGとわれわれ

この写真がゲソ爺との最後の写真になりました。
一緒にいると、いい勉強になりました。

9回目の9月2日です。(藤原忠Gより)