横浜 BarBarBar 2006.9.30

史子さんの誘いでBarBarBarでのライブに出演することになりました。75分のセットを2回ということになりました。これは、当日のお店に貼ってあったポスターです。記念にもらって来ました。

プログラムは史子さん、オージーサンズ、史子さん+オージーサンズで構成しました。大勢の応援団が聴きに来てくれて、広めのBarBarBarに一杯のお客様でした。

それは、ありがたいことですし嬉しいことですが、リハーサルを始める前に、史子さんが階段を踏み外して左の手首を骨折してしまいました。救急車の待ち遠しいこと。OZのマネージャーのことりが救急車に付き添いで乗り込み整形外科へ飛んでゆき治療を受けました。

誰が見ても折れた尺骨が見えるほどで、本人もわれわれも気が動転してしまうほどでした。

それが、5時半頃に2人でBarBarBarに帰ってきました。麻酔が効いているらしいのですが、痛々しい姿で「歌える」と言います。お客様も沢山来ることが予想されるので、迷惑を掛けてはいけないという責任感が史子さんを気丈にさせるのです。実に強い史子さんを見ました。暫くは何をするにも左手が使えず不自由です。

そうです。左足のひざ小僧も4針縫いました。

実際、手術ということになれば入院を余儀なくしなければなりませんが、今日のところは骨を元の位置に戻して固定するだけの処置で済んで帰されたということです。後日、北里病院で診察を受けることになっています。

4時2,30分まえに骨折をして、8時からのライブを三角巾で左手を吊りながら歌を唄うなんて考えられないことです。プロの魂を見る思いでした。実際、鬼気迫るほどの力のこもったボーカルでした。

オージーサンズも史子さんに引きずられて、自分で言うのもおかしな話ですが、いつも以上の出来栄えでした。修羅場をくぐってきたと言うのはこういうことなのでしょう。

アクシデントが起こったのは、9月30日土曜日です。月曜日に北里病院で改めて診察を受け、骨折した部分がずれないようにとめる手術をしました。4泊ほどして退院しましたが、10月の半ばまでのライブは、17日のGoodiesのライブを除いてお休みすることになりました。

病気も怪我も史子さんは縁の無い人だったのです。たまには、休息の時間を神様が与えたのかもしれません。

横浜 BarBarBar   

「骨折1周年記念ライブ」が1年後に行われました。 1年後のライブ