歌と歌手にまつわる話

(8) びっくり仰天の間奏 Embraceable You
  (in English)  


Joe Williams(1918-1999 )
日本の女性ジャズ歌手のお局といえばマーサ三宅ということになっているようですが、彼女もこの歌を得意としています。

わたしの師匠の師匠に当たるジョー・ウィリアムスがスーパー・サックスのバックで唄っています。

「おれの師匠のを聴いてみるか?」といってかけてくれたのがそのレコードでした。師匠と2人でひっくり返りました。強烈な伴奏なんですね。親切な師匠は私の練習テープに入れてくれました。

しかし、帰りに銀座に出て、これが入ったCDをさがしたのですがありません。がっかりして家に帰り、ジョー・ウィリアムスのCD(Verve)を探し出したところ、その中にあるではありませんか。この曲を聴いていなかったんですよ。

うれしいやら、あほらしいやら。

Joe Williams(Joseph Goreed )
1918.12.12-1999.3.29


News on March 30, 1999
(Las Vegas Review Journal)

Jazz graet Williams found
dead on street

ジョー・ウィリアムスがラスベガスで入院中の病院から3マイルほどの自宅まで散歩しようと抜け出してしまった後、自宅から間近の道路上で亡くなっていたのが発見されました。

よほど、我が家に帰りたかったものと思われます。誰しも病院で死にたくないものなのです。我が家に帰りたいのです。私の父親も、若くして逝ってしまった家内も死ぬ前に「さあ、うちへ帰ろう」と言ったものでした。

3月29日(月)のことです。日本はすでに翌日です。80歳と3ヶ月の生涯でした。

今夜はこれからジョーを偲びたいと思います。今ごろあちら側でカウント・ベイシーに会っているのでしょうか。

偉大なジャズ歌手でした。合掌。

(informed by Ruriko Shiozawa on March 31)


ジョー・ウィリアムスが来日したときの話です。いい女がいると思ってある日本人女性に目をつけていたのだそうです。それを知らない沢田靖司が"This is my wife"と紹介したので、ジョーはがっくりしたという話を沢田靖司が思い出して話してくれました。沢田靖司はジョーから可愛がられて、いろいろな唄い方を伝授されたのです。

こんなことからジョー・ウィリアムスと沢田夫妻とは親しくなったわけですが、行く先々で偶然に出会うことが多く、本当に縁が深かったと夫人が言っています。「Ikkoのために唄うよ」といっては何度唄ってくれたことかと、ジョーの死を悼んでいます。


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