ジャズと小噺

(12)どこで聴く Listen Jazz by Heart

クラシックファンにとってジャズは雑音に聞こえるものでしょうか。われわれ日本人が秋の「虫の音」を聞いて「いみじき楽の音」と感じるのに対して、アメリカ人などは「虫の音」を雑音にしか感じないといいます。たしかに、鈴虫を飼うアメリカ人なんて聞いたことがありません。

クラシックを聴くには、大脳を使わないとなりません。

若者が好むわけの分からない音楽は、どうやら小脳で十分です。

スタンダード・ジャズは心で聴きます。

音楽は耳で聴いているのではないのです。耳を通して聴いているのです。

この小ページをご覧になったRRRさんから以下のようなコメントをいただきました。反論の余地はありません。

わたしはクラシックも若者が好むわけのわからない音楽も聴きます。
その際クラシックを小脳で聴くこともできますし、心で聴くこともできます。若者が好むわけのわからない音楽を大脳で聞くこともできます。

音楽は聴く人のそれまでの音楽経験によって聞こえかたがまったく違ってきます。今まで聴いたことのないジャンルの曲を聴くと、初めはまったくわからずにつまらなく感じることがほとんどでしょう。しかし繰り返し聞いているとその良さがわかってきます。その際、大脳を使わなくてもいいものは良いと感じることができます。好きになれなくてもその良さを理解することはできるのです。

音楽はいろいろな聴き方ができます。スタンダードジャスは大脳で聴いたり小脳で聞いたりするよりも、心で聴いたほうがすばらしく感じるのでしょう。しかし、クラシックは楽譜を見ながら大脳を使ってその数学的美しさを楽しむこともできますし、何も考えずに小脳で感じているだけで涙が出てくることもあります。心で聴くこともあります。聴き方ごとにそれぞれ利点があります。若者が好むわけのわからない音楽も同様です。

つまり私が言いたいのは、ある音楽はこう聴きある別の音楽はこう聴く、ということを先入観で決めてしまってはもったいないし間違っているということです。

2004.7

音楽のジャンルにもともと貴賎はなく、壁もありません。しかし、一般的に音楽そのものの難易度に差があることは歴然としています。したがって、偏見も生まれてくるのです。

また、音楽を聴くシチュエーションによって聴き方もかわります。聴く人の自由で、他人が強制するものではありません。価値をどこに見出すかは、その人の価値観によって違うのです。

このコラムを書いた日、ある映画の中でオペラしか興味の無いおじさんが吐いた「ジャズは雑音」という台詞が耳にこびりつきました。その反動で、皮肉を込めて書いたコラムだったのです。RRRさんに「マジに」受けとめられてしまいました。

秋吉敏子が「ジャズを聴くのは疲れる」と言っています。隅から隅まで、身体全体で聴くからなのでしょう。大脳からも指先からも。


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