FRIENDS OF OZSONS

横山さんはOZ SONSの伴奏を喜んでやってくれました。がんを患いしばらくは療養されていましたが元気を回復し、これなら大丈夫と思っていたのですが、ついに病魔には克てませんでした。残念至極ですが、2009年10月4日に帰らぬ人となりました。57歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

軽井沢のオージーサンズの合宿にまで息子さん同伴でベースを車に積んで弾きに来てくれたこともあります。

5年前のステージがOZ SONSとの最後の共演でした。 合掌(2009.10.5)


Ryoichi Yokoyama (1952-2009)

横山 涼一

やはり世良さん一家のベーシストです。1952年、東京浅草に生まれの法政大学卒ですから、若Gが教鞭をとる同じ大学です。すでに学生時代からプロ活動をしていました。

OZ SONSにとっても、何だかんだと関係の深い人で、世良さんと一緒にやるときは、ベースはきまって涼ちゃんです。

OZ SONSの専属ピアニスト、大原江里子が定常的にピアノを弾いている神楽坂の「もりのいえ」にも月に1,2度はベースを弾きに来ていました。

そんなときは、OZ SONSが合流することもしばしばです。

94年、世良譲トリオに参加。同年11月にはニューヨーク「バードランド」、95年にはニューオータニジョイフルオーケストラで、サンフランシスコのフェアモントホテルなどアメリカで演奏活動も経験してきました。また珍しいのは、96年11月、タイで行われた国王即位30周年記念ジャズフェスティバルには ジミー竹内カルテットとして参加しています。

いろいろ面倒見がいいので、世良さん一家の宴会係です。彼に任せておけば世良さんも安心していられるというものです。そんなところは体育会系の乗りです。

2003年1月23日、世良さんの「快気祝いと新年会」をやろうと、三浦海岸のホテルに泊りがけで行くことになりました。もちろん、幹事長は涼ちゃんです。これは、翌日、解散してから記念写真だということになって、残っていた人たちがホテルの玄関脇でパチリ。
体育会系らしいのが一人いるじゃありませんか。相撲取りがアメリカンフット部の防寒ベンチコートを窮屈そうに着ています。また、隣で魔法使いのケープのようなものをかぶっているのは、最近めきめき上手になった福田良子、他にもお馴染みの顔が揃っています。


想い出の世良さんの50周年コンサート

ベース・横山涼一(オージーサンズ・ライブにて) 2004/11/20