BIRTH OF THE GROUP

小島 恂というオジサンはあることに感動したのです。彼の父、小島正雄が育ての親であったスリー・グレイセスが、1990年の暮に「復活コンサート」で、彼女らの口から「私たちも子育てから手が離れ、中にはオバアチャンになった人もいて、第二の人生をどうしようかと考えたときに、私たちにはコーラスしかないので、また楽しみながら始めました」と語りました。

それを聞いた小島は、つくづく羨ましいと思い、それまで人前で歌を唄うことなどなかったのですが、2〜3曲なら何とか格好がつくのではないかと無謀にも思い込んで、一緒にコンサートを聴きに行った歌の好きな笠井と、その足で武田 泉のいる”PAPER MOON”に直行しました。

”PAPER MOON”とは、その頃、六本木の片隅にあった小さなピアノ・バーです。

主人の武田 泉は「是非おやりなさい。小島さんがやりたいのなら自分がメロディーを歌ってお手伝いします」といい、おじさんコーラスが始まったのです。

主人は静岡産のジャズ・ピアニストで、ベートーベンというニックネームです。ベートーベンはコーラス・アレンジもピアノ伴奏も引き受けてくれました。

小島は勤務先の後輩、西尾始郎を仲間に入れてカルテットを編成しました。これが、現在の”The Oz Sons”の前身となるいわば紀元前の創設メンバーです。

縁とは不思議なもので、一番最後にメンバーとなる若山はたまたま”PAPER MOON”に連れて行かれたとき、小島、笠井、武田の3人に出会い、当日その場にいなかったTop Tenor西尾のパートを唄い、4人でコーラスをやったことが1回だけあるのです。よもや、数年後にリトルマヌエラで再会し、そのグループのメンバーに誘われるとは思ってもみない話だとは思いませんか。

この一夜の出会いは、後々になるまで忘れ去られていたのです。

ベートーベンは「親が高齢になった」からと、2001年の春に店をたたみ静岡に帰りました。静岡の皆さん、”PAPER MOON”というお店を訪ねてみてください。武田 泉がいるはずです。

と言っていたら、栗本が02/02/16に静岡で”PAPER MOON”を見つけました。武田 泉が昔どおりにお店をやっていたのです。オージーサンズのメンバーに直ちに電話連絡がありました。一度、フル(古?)メンバーで慰問に行きたいものです。ホームページを閉じてしまいました。店はどうなっているのでしょう。