こんな人たちが |
このサイトを遠い海外から見つけて見てくれていたのです。そして、わざわざ書き込みやメールまで送ってくれました。既に他界された方もいます。 誰もが知っている有名人もいます。 |
爵士樂堂主人 |
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Don
Cornell |
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I'm Don Cornell, performer of Mama Guitar. 「私はMama Guitarを歌ったドン・コーネルです」という書き出しでメールをくれました。このHPが公開されて間もない頃です。 「今では、フロリダに住み、近郊のクラブでスタンダードを歌っています」 「CDも出していますから、是非、聴いてください」 |
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ニューヨークのブロンクスの生まれで、古くはレッド・ニコルスの楽団のシンガーでした。レコードを5000万枚も売ったヒットメーカーです。ママギターはロックロールの歌ですが、よく唄ったものです。 私が高校生の頃のヒットソングです。すぐに返事を書きました。「歌詞を今でも憶えています」と。 2004年に85歳で亡くなりました。ホームページは生きています。 |
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Salena
Jones |
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Salena Jones(1944- ) |
サリナ・ジョーンズも自分のことが書かれているページを見つけて、メールを書いてきました。 Hi, this is Salena Jones. その後、来日するたびに会うようになりました。 そんな話は、サリナのページにまとめてありますので、そちらをご覧下さい。 |
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Craig
'Big-T' Thompson |
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Craig Thompson(1964- ) |
ダラスの住んでいる通称”Big-T”と呼ばれるシンガーがいます。彼も「日本に行ってライブをやります」と知らせてきました。 本当に来ました。マヌエラで歓迎会を開いてやりました。みんなを引き連れてライブにも行ってやりました。 シナトラやハリー・コニックJr.などを模したビッグバンド歌手です。ダラスには自分のフルバンド、Bada-Bingsを持っています。 海兵隊時代にはミサワ基地にいたのですが、相撲をとっていてアメリカ代表になって、国技館で国際相撲大会にも出場しました。 |
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David
HansenとJimmy La Rocca |
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Original Dixieland Jazz Bandという歴史的なバンドが、ニューオリンズにあります。現在は創始者の息子のJimmy La Roccaが後を継いでいるのですが、私が書いたこのバンドの物語をマネージャー兼ドラマーのDavidが見つけて、礼状をくれました。 リーダーのJimmy La Roccaからもメールが入りました。 まだ、会った事もないのですが、互いに季節の挨拶などを交換し合っています。 ODJB自身のホームページには「私の書いた日本語のページ」を「日本語版」として掲載しています。 |
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John
Mills II |
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John Mills II |
ミルス・ブラザースはジャズコーラスの故郷です。オリジナルの兄弟はみんな亡くなりました。Donaldの息子、John IIがミルス・サウンドをエルマー・ホッパーと二人で継いでいます。 ミルスのHPがあるのですが、出来たばかりの頃、ショップのページが上手く機能していませんでした。 そこで、「壊れているぞ〜」とメールを出したところ、返事をくれたのはJohn Mills IIでした。そして、ミルスのCDを2枚プレゼントしてくれました。 |
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「お父さんたちのミルス・ブラザースは日本に行くのが大好きでした。私も、近いうちに行きたいものです。」 と言ってきました。その後、2005年10月に日本に来たのですよ。われわれは旧知の友のように会いました。エルマーも一緒です。 |
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Elmer
Hopper |
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Elmer Hoper(1955- ) |
サックスの芦田ヤスシさんの記事は、ミルスのページに出てきます。それをElmer Hopperが見ていたのです。 Elmerは分裂したプラターズの一つにPaul Robiのプラターズがありました。そこで21年間、彼はリードを歌っていました。 そんな時代によく日本に来ていて、芦田さんとは一緒にやっていたというわけです。芦田さんの連絡先が知りたいといって、メールが来ました。芦田さんにお断りして、住所と電話番号を知らせてやりました。 |
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そうしたら、エルマーはミルス・ブラザースの末弟のドナルドの息子、John Mills IIと2人でミルス・ブラザースを継いでツアーをしていました。これも奇遇です。 | ||||
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Jimmy
Webb |
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Jimmy Webb(1946- ) |
1967年に「恋はフェニックス」という邦題のついた”By The Tmie I Get To Phoenix”という歌を書き、グレン・キャンベルが唄って大ヒットとなりました。 翌年には”McArthur Park”をアイルランドの俳優、リチャード・ハリスが唄って話題になりました。この頃から、このロックのソングライターのサウンドが私の耳にとりつきました。 |
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何十年も経って彼のホームページが出来て、そのゲスト・ブックに記帳しました。そうしたらご本人からメールが飛び込んできました。今でも現役でライブ活動をしているのです。新しい歌も書いているのです。 先日もNew Albumnが発売されたとメールで知らせてきました。 |
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Norio
Maeda |
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ある日突然という歌がありましたが、本当に突然、前田さんからメールが飛び込んできました。 グッドマン楽団のクロージング・テーマに使われて有名になった、ゴードン・ジェンキンスの”GOODBYE”にまつわる不思議な話があるのですが、それを知っているかという問い合わせメールでした。 友人の宮尾さんといろいろな文献を調べまくりました。 |
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驚きましたねぇ。大音楽家からの質問メールが爵士楽堂のところに来たのです。後日、マヌエラでお会いしました。興に乗って、きわめてユニークなスキャットでベースとドラムを相手に4バースを始めました。みんなを大笑いさせました。 その顛末は、第3章の1ページとなりました。 ⇒「ゴードン・ジェンキンス問題」 |
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Paula
Kelly Jr. |
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Paula Kelly, Jr. |
Elmer Hopperが「Paula Kellyは知っているか」と尋ねてきました。グレンミラー楽団のモダネアーズのPaula Kellyの娘で、お母さんの後を継いでモダネアーズを現在まで続けています。 日本のMixiのようなメンバー制のFacebookというもともとハーバードの学生が作成したコミュニティ・サイトがありますが、そのサイトでエルマーは最近ポーラと友達になったのです。それで、「お前さん、ポーラを知っているだろう?」と照会してきました。モダネアーズのページも書いていると返信したところ、ご当人、ポーラから次のようなメールが来ました。 Dear Mr. Wakayama, Paula Kelly, Jr. |
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Gina
Eckstine |
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Gina Eckstine |
Gina EckstineはMr. Bで一世を風靡したバリトンボイス、Billy Eckstineの娘です。Elmer Hopperが2010年8月のミルス・ブラザース・コンサートでジーナとデュエットで”Passing Strangers”を歌ったとU Tubeにアップしました。 この歌はジーナの父であるビリー・エクスタインが生涯兄妹として過ごしたサラ・ボーンとの1957年のヒット盤です。早速、この歌を紹介するページを書きました。そうしたら、ジーナが喜んで返信をくれました。 "Thank you. This is so nice! So very special...Thank you. Just a little correction if you don't mind...Dad discoverd Sass at amateur night at the Apollo Theater. He was with the Earl Hines Orchestra at the time. They already had a girl singer ,so Sass joined the band as second pianist. Later she took the girl singers spot. Later, when Dad formed his own band, Sass came with him. They were like brother and sister for the rest of their lives. I hope you don't mind, but that's the real story." |
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